内国勧業博覧会とは、1903年(明治36年)3月1日から7月31日に、大阪で開催された博覧会です。
日本が「工業所有権の保護に関するパリ条約」に加盟したことから海外からの出品が可能となり、14か国18地域が参加しました。
これは、1900年(明治33年)パリ万博の37か国、1902年(明治35年)グラスゴー万国博覧会の14か国と比べても遜色ないものでした。まさに元祖・大阪万博であったと言えます。
イルミネーションやライティングが多用され、「電気の博覧会」とも呼ばれていたようです。
このあたりは、現在の道頓堀界隈にも、通じるものがありますね。
また、通天閣のモデルと言われる大林組によるエレベーター付きの展望台「望遠楼」、通称「大林高塔(おおばやしたかとう)」が人気を博します。
その後、博覧会の跡地は、1909年(明治42年)には東側の約5万坪が、大阪市によって天王寺公園となりました。
そして西側の約2万8千坪は、大阪財界出資の大阪土地建物会社に払い下げらます。
1912年(明治45年)7月3日に、大阪の新名所「新世界」となり、通天閣とルナパークが開業しました。
冒頭の画像「第五回内国勧業博覧会」(大阪市立図書館ホームページ)