通天閣

通天閣
2020/02/20

1912年7月3日、 通天閣新世界に、ルナパークと共に建設されました。



大阪土地建物の社長・土居通夫(どいみちお)さん考案による、凱旋門の上にエッフェル塔を乗せたデザインは、新世界のことを建設中に「新巴里」と呼んでいたことを、納得させるものですね。



設計は、大阪堂島米穀取引所もで有名な設楽貞雄(したらさだお)さんであり、現存する建築では「長瀬産業大阪本社」があります。



通天閣塔上ヨリ北部ヲ望ム(大阪名勝)(大阪市立図書館ホームページ)
通天閣塔上ヨリ北部ヲ望ム(大阪名勝)(大阪市立図書館ホームページ)


300尺(91m)という触れ込みで(実際は250尺、約75mだったらしい)、建設当時は東洋一の高さを誇っていました。
放射状の広い道路と街の賑わい、そして遠くには大阪城も見え、まさに絶景だったことでしょう。



通天閣の命名は、儒学者の藤沢南岳(ふじさわなんがく)さんです。
今ではEDIONなんば本店となった「精華小学」や、名建築で有名な「愛珠幼稚園」も、彼の命名だそうです。



通天閣建設に尽力した土居通夫さんの名前を、一文字取るなんて、なかなかのセンスの持ち主ですね。



通天閣(大阪名所)(大阪市立図書館ホームページ)
通天閣(大阪名所)(大阪市立図書館ホームページ)


二代目通天閣の広告は「HITACHI」となっていますが、初代通天閣では「ライオンはみがき」でした。



また北側にあった公園が、現存する二代目通天閣の建設地です。
これは再建時には既に、跡地に住居や店舗が建っていたため、北側の公園上に、これを跨ぐ形での建設となったためでした。



二代目通天閣の再建は、民間運動による署名と寄付が発端となりました。
とても大阪らしい、いい話ですよね。
そう言えば、現在の大阪城も、同じく民間運動による署名と寄付が発端でした。



ちなみに、二代目通天閣の真下には、あの 大正時代の将棋名人・坂田三吉(阪田三吉)さんを偲んで、王将碑が建てられています。



冒頭の画像「第五回内国勧業博覧会」(大阪市立図書館ホームページ)