粟おこし

粟おこし
2020/11/15

粟おこしとは、米を蒸して干したお菓子で、その起源は弥生時代にまで遡ることができます。
そのため。日本最古のお菓子ともいわれています。



平安時代には貴族のお菓子でしたが、江戸時代に米や飴が手に入りやすい天下の台所「大坂」で一般向けの生産が始まりました。



ちなみに、粟おこし屋さんに、梅の家紋が描かれるのは、菅原道真さんが、その由来です



1752年には「つのせ」の初代店主である津の国屋清兵衛さんにより、現在と同じ、板状の形の粟おこしが作られました。



当時の大阪、つまり大坂では、水運のための掘り起こし工事が多く、その際に、土中から板状の岩がよく出てくることから「大坂の掘り起こし、岩おこし」と言われ、発展の象徴とされました。



板状の粟おこしは、その形が似ていることから、岩おこしとも呼ばれ、縁起の良いお菓子として、大坂の名物となります。



また、古くは粟も使われていたようですが、江戸時代には、より味のよい米を粟状に砕いて使い、粟は使用されなくなりました。



粟おこしなのに!



明治時代になり、日露戦争の折、明治天皇より戦地への慰労品として「あみだ池大黒」で作られた、菊のご紋入りの粟おこしが送られました。
のちに帰国した兵隊さんたちが、評判を全国各地に広げたのでした。



このことにより、粟おこしは大阪名物としての地位を、より確かなものとします。



Photo by DaiOsaka Dolls